2009/06/29

similar to ~

どの地域でも似たような、同じような景色がよく見られます。



その地域ごとにその建物なり、地形なりに意味だったり歴史だったりが異なっているはずです。

しかしその違いがあまり日の目を浴びることなく、観光というのは大抵、施設や風景を見て、お土産屋さんに寄ってという形になってしまう。

それはそれでよいのですが、その場のメッセージ性が伝わっているかどうか、多くの人に伝えられたかどうか、もう一度訪れたいと思えるような何かが必要になりますよね。




(左:函館 金森倉庫群 右:横浜 赤レンガ)

函館と横浜の赤レンガです。どちらも中が商業施設として使われています。

自身の記憶の中では、すでに商業施設と化した施設になっていたため、そのイメージが強いのですが、実際は、漁業の衰退や輸送方法の変化などから、港湾地区での倉庫の役割が失われてきたために使用しなくなるか、形を変えざるを得なかった。


時代の産業構造の変化がもたらした産物です。

(↓ 過去のblogに関連)
http://blog.livedoor.jp/pitchingmachinegun/archives/2007-08.html















(左:函館 立待岬 右:福井 東尋坊)

あまりよいことではないですが、2地点共に同じく自殺の名所です。


東尋坊は海食崖で、その柱がきれいに揃って崩れ落ち、断崖絶壁が大きくなっているのが特徴。大きな岩体の中心部のマグマの冷却がどこよりもゆっくり進む条件があったために出来上がったものだそうです。

立待岬は、東尋坊ほどではないですが、同じような岩場、崖の形を持っているところがあると思われます。元々函館山は陸とつながった場所だったそうで、長い期間海食の影響を受けながらうまれた崖です。

岩の種類等が異なる部分が多いかとは思いますが、崖の形成ということを考えるとやはり類似するところはあるはずです。

(参考)
http://blog.goo.ne.jp/kimono07/e/f8c8290ebd0dbb27e3c9d7fcdb4adaf9 

・『東尋坊安山岩質貫入岩体の産状と構造』 吉澤康暢






(左:函館山から市内を眺めて 右:愛媛県北条市)


でもぼーっと景色を見てるだけでも、なんとなく景色を眺めるのもいいのだけれどもね。

個人的には、

・その地にいる人に会いたいと思える
・そこで実際に体験してみた、やってみたものを大事にできる環境がある

というのがやはり大切なんじゃないのかな、と思いますが。



比較利用した写真、あまり似てない題材を使っているかもしれませんね…すいません。
自分の撮影したものから引っ張り出しただけなので。







函館もやっとどんより天気が去り、気持ちいい空になってきました。

2009/06/16

星型の要塞 その2

その1
http://styleuse.blogspot.com/2009/06/blog-post_16.html

の続きです。



城壁の存在は、囲われた同じ空間に住むという市民意識を生み出した。


城壁内に住むことにより、囲いの中にいるという権利を持ち、同じ権利を共有した集落が形成され、自治も発生した。

また、ヨーロッパでは城の存在が一つの国を形成していたといえ、城壁は城と一体となった市民を守るために存在するものであった。

戦いが起こるとなると、異民族と国をかけた争いとなるため、同じ空間を共有するという強い市民意識が確固としたのではないだろうか。

過去から現在まで、ヨーロッパの町に広場が存在するのも、市民にとって、空間を共有するという点で、パブリックスペースを確保しようとする意識があったためではないだろうか。

こういった市民性は、城塞都市を支えていった原動力であろう。 城壁に囲まれた村は都市と呼べる場として成立、機能していった。



一方われわれの住む日本では、城壁はあまり見受けられない。

ただ、城の防御策として、領主の住む城の周りには塀が存在し、三差路と行き止まりを効果的に利用することなど挙げられる。

しかし、町全体を城壁で覆うようなことがなかったということは、領主に対し、その地域に住む人々が従属する強い関係が日本では特徴的であったといえる。

(まさに日本的。組織に従属する。)


しかも、争いで戦うのは基本的に武士であったため、国民の大多数を占めた農民にとってはある意味、領主が代わるだけにすぎない争いであったのではないか?

主従関係により、市民としての意識が作られなかったからか、日本にはヨーロッパのような広場も存在しない。

また、ヨーロッパと異なり、単一民族国家である日本の戦いは、外部から侵入してきたとしても、来る人は基本的には同じ日本の人間であり、民族同士の激しい対立のような状況は島国ゆえ起こらないことも挙げられる。


以上からまとめると、争いに直接参加するのは一部の人間であり、領主にとってみれば、農民を地域とひっくるめて守ろうという意識がなかったこと、城壁のように周りを囲うようにしてまで、外部との接触を拒む必要性を感じていなかったことが、日本で城壁を発達させなかった理由と言えるのではないだろうか。


城壁が存在しなかったことは、現在の日本の特徴として現れていると考えられる。

日本では首都圏でのグリーンベルト構想が失敗したように、都市のスプロール化が起こってしまった。 まちの無秩序な広がりはまさに、城壁という囲いの意識が制限してくれることによる、コンパクトなまちづくりとは対照的である。


日本でも近年コンパクトシティの議論など進んできているものの、城壁文化のなかった日本にとってはこういった考え方に至るまで長い年月をかけることになったようである。




主観なんでこの主張が正しいとはいえませんが。



それにしても落ち着いて時間の過ごせる公園でした。
鴨がちょこちょこ園内を歩いていたりね。
ちょうどつつじや藤が見ごろでした。


もうちょい公園内に休めるスペースがほしいな。
















星型の要塞 その1

先日五稜郭公園に行ってきた。


五稜郭といえば戊辰戦争、新撰組など幕末の歴史の幕として有名である。

そして、星型の城郭が多くの人のイメージであるに違いない。
いくつか同じようなタイプのものをあげてみようと思う。
(以下5枚の出展 google earthより検索)


(左:函館五稜郭 右:長野県龍岡城)



(左:イタリア パルマノヴァ 右:スペイン サンフェラン要塞)










(イタリア アレッサンドリア)





日本ではあまりこのタイプの城郭は見られない。
この星型のタイプはヨーロッパに多い。

城郭には大抵、城壁が用いられている。
城壁はもともと、農耕の豊作、不作といった結果による富の蓄積の違いから争いが生じるようになったため、外的から身を守る手段として発展してきた。

城壁の周りには堀を作るなど、外部からの進入を防ぐ手段は様々であった。

ちなみに星型の利点は死角が少ないことである。ある1地点から見渡せる範囲が広い。
四角い枠を考えてみると差は歴然である。

なぜ函館ではこのタイプが現れたのか五稜郭の資料を見てみたところ、
ペリー来航後日米和親条約が結ばれ、箱館が開港することになるのだが、
蝦夷地の統治に加えて外国船を取り締まる必要性があり、役所を開くことにした。

その際、フランスの軍艦の軍人の教えを受け設計したようである。
開国ありきの形だったわけだ。


じゃあなぜ日本では星型のような形の城郭や、城壁文化が発達しなかったのだろうか。
(日本の城ではあまり城壁が見られないことが多い。)


つづく

2009/06/14

はじめて触れる北海道農業

気付けば先月の話になってしまうのだが、士別と十勝清水にいってきた。

大学時代のつながりで知り合った2人。どちらも実家に戻って農業を継いでいる。



士別では肥料の積み下ろしを手伝った。
1袋20kgの肥料の積み下ろしは、ずっとやっていると重労働である。
人間の手が必要となるのは事実だ。

また、トマトや育苗要の苗の温度管理を朝、晩共にこまめにcheckしているのを見学させてもらった。

温度管理の状況がわかるように室内に温度を表示できるシステムを使っていたのは、苗が小さなうちの温度管理の重要性が伺われた。



清水では、牛舎から牛を追いやり牛舎の掃除から始まった。日中はビートの定植を行なった。
ビートの苗箱も15kgはあり、これを移動させ機械に装着するのもなかなかの重労働である。

農業機械の性能は素晴らしいと思う。このビートの定植でも確実に植えられていく苗に感動を覚えた。


町歩などをメモしてくるのを忘れたので正確なことはいえないが、士別はわりと山に囲まれている地形ではあるが、1件あたりの農地は道外と比べるとはるかに多い。

清水にいたってはさらに1件あたりの規模が広い。写真で見てもわかるとおりですが。



今回初めて北海道の農家の中に入ってみて、とにかく今まで見てきた中でも土地が広い!
と感じたのが一番でした。

どちらの家もやはり息子が継いでくれることに親御さんが喜んでいるようであった。

自ら生活基盤を作っていく仕事を家族一丸となってやれる仕事というのはやはり魅力だと思う。
(家族ゆえ難しいこともあるのだろうけど)


--------

白鳥が普通に川にいる姿などは風景としてもいいね。

やはり農村で過ごす時間の魅力を活かせるような、気付いてもらえるようなことを発信していきたいな。



どちらのお宅でもおいしいご飯とお酒で満喫させてもらいました。
短い時間にもかかわらずどうもありがとうございました。

2009/06/06

時の流れを










(写真は泥バレ)


お久しぶりです。 先日、強行で東京に行ってきました。


一つは、お世話になった先輩を送り出すため&ミニライブを聴くため。

もう一つは、昔実行委員をしていた泥んこバレーに参加するため。

--------------

僕にとって所沢は思い出がたくさんあった場所だったけど、きょうじゅがいなくなると、所沢と接点を持つことは、もう2度とないかもしれない。

ベッドタウン所沢。 もし北海道に所沢があれば北海道で2番目に大きい都市になる。

小さいなりの大きなまちで。 小さい僕は大きな器を持った人にお世話になった。

ありがとう、きょうじゅ。

--------------

泥んこバレーは今回も相変わらず面白い企画となった。

昔実行委員だった頃が懐かしい。

後輩たちが、自分達の意志を受け継いで、進化させながら頑張っている姿を見ると嬉しくなります。

これからも自分自身で道を作っていきたいと再確認。

--------------

早稲田にも寄ったけど、色々変わってたね 馬場ロータリーの信号機が黒くなってた

ラーメン天鳳の名前が変わってた

ラーメン山岡屋できてた

カツ丼屋みたいなのできてた

新11号館あいてた

他にも変わってるとこあった気がする

相変わらず入れ替わり、新旧交代が早い

南門商店会のホソカワさんも閉店する

久々に元気?と顔出したらホソカワさん(床屋)の中でなぜか隣のグラッソのメンチカツとハヤシライスをゴチになった

流れが速い東京でも、まちを、地域を作っている顔を土地の保持で崩してしまう。

農地に限らず、都市部での地権保持も何ともいえないものがある。



--------------

函館~八戸が特急で約3時間、八戸~東京が新幹線で約3時間。

函館~八戸に新幹線が通ると約30分。 新幹線早いね。

早ければよいというものではないけど、 早いこと、様々な動きが流れるように、とめどなく溢れるようになるTOKYO

地方の空き店舗問題、農村での農地の流動化が進まない問題と同様に、都会だって不動産の運用の仕方いかんで地域の、まちの動きが変わっていく。


流れていくものもあれば流れていかないものもある 自分自身も流されるのか、流れに身を任せるのか、流れをせき止めるのか、田んぼのように溜めておくのか 常に社会の流れのタイミングをつかみ取れる力を身につけないとならない。