2009/05/02

第2の生活地を俯瞰して(2)

1のつづき

うちの側には、たきびの歌の発祥地もあった。 その家、非常に歴史がありそうな感じだった。

坪数もかなりあると思う。

実はそこに近接した道路を広げ、幅員15m(?だったかな…)の都市計画道路を通す予定があった。

地権の関係で今でも無理なんだろうけど、そういう計画をずっと残しているまま放置するのも問題な気がする。

立派な木がこの家には何本も立っているのにね。

これを削ってまでやろうとは思えない。 下北沢の都市計画道路の問題とは争点ずれるけど、どうして昔からの計画って柔軟に対応できないんだろうね。

北海道も無駄なダムとか、時代に見合わなくなってきた無駄な計画っておそらく今でもあるんだろうけどさ。 そんな感じで、いい面ばかりじゃなくて、どうなんだろうこれは、と思うことも東京に住んでいて多々あった。


ちなみに前住んでた家は6畳。ユニットバス。キッチンやたら狭い。

俺の弟は北海道で12畳、風呂バス別、キッチン超快適。家賃は上記の半分。

東京の道路は全体的に狭い。新井薬師は特に。 防災的にも限界な道路幅4mないところがちらほらある。 4mあっても車一つ通るのがギリギリ。

札幌でもこの道路幅はまず見られない。

下の写真のも、車道と歩道が混在しているのはいいんだけど、何かをシェアする、という概念を考えた時、成り立つべく暗黙の秩序のようなものはここには存在しない。


そして、下のマンションも。 写真見てわかるかなー、これ、下もスペースあるのになぜか上に駐車場なんだよね。


川が側に流れていて、その水が氾濫するからなんです。


川の水を一箇所に集めて、水が氾濫しやすくなって、氾濫するたび堤防だけ高くして。 その堤防があるために殺風景になったりして。
(神田川も一緒の構造なんだけどね、堤防高いでしょ)


こういった道路とか住環境が日常茶飯事ってのが正直信じられなかったんだけど、あれだけ狭い場所にあれだけの人が住んでいるわけだから仕方がない部分もある。


東京は否定しないんだけど、東京が見過ごしている、見過ごしても生活できている環境だけはどうかな、と疑問符を打っちゃう。 東京は東京で魅力的なんだけど、本当に豊かなこと、必要なこと、大切なこと、幸せなことは何なのかな、ってやっぱり考えちゃう。


僕にとって、東京という場は、求める環境がある意味あったけど、ある意味なかったんだと思う。

だから、今地元にいるんだと思う。 自分の選択には、それなりの外向けに言っている理由とは違った場所に内包している意味が常にあるんだと思う。

東京にいるからこそしやすいことがあるのは間違いない。しかし、東京にいないからといってできないことなんてないはず。

今はもう少し充電期間にしたいと思います。

自分が実現したいことが何なのか。

自分が幸せであるとはどういうことなのか。

自分にとって大切なことはなんなのか。

社会に影響を与えるためにやれる事は何なのか。

この答えを出すには時間がかかりそうです。




















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